ぶらあぼ 2020年1月号 New Release Selection
アイヴズをどこか座りが悪い作曲家と捉えている人は、このディスクを手にするといい。その音楽思考のエッセンスが表れているから。旋律線はシンプルで、素朴な節回しやジャジーなリズムも登場するが、音楽は全体としてとにかく過剰。同時代の欧州の民族音楽ブームとも無調音楽とも異質な、クールで熱いモダニズムが20世紀初頭のアメリカで芽吹いていたことにわくわくする。特定の様式感では捉えがたいこの音楽に、ROSCOの二人は自然体でアプローチし、すっきりと聴かせてくれる。この時代のアメリカの社会・経済・文化状況に作曲家を位置付けたブックレット解説もまた過剰だが、勉強になる。(江藤光紀)
朝日新聞 2019/12/20
アイヴズがみせる「多様性の宇宙」
20世紀初頭のニューヨーク。ひとりの宇宙からの来訪者が地球人に身をやつし生活していた。彼は保険業を営む傍ら、「趣味」で音楽を書いた。地球上の音楽素材を、彼の故郷たる遠い惑星の音楽理論と、融合させたのだ―――。こんな空想が浮かぶほど、チャールズ・アイヴズ(1874~1954)の音楽は隔絶している。シューンベルクらが調性の枠と苦闘していた時代、アイヴズは枠など最初からないかの如く伸び伸びと実験を行った。無調、多調性、微分音、ポリリズム、偶然性・・・・・・。
それが明るく力強いのは、膨大な引用のせいもある。アイヴズの音楽には、讃美歌を中心に、流行歌や民謡、軍楽など無数の引用がなされる。聞き覚えのある旋律が想像を超える手法で組み合わされ明滅し、開拓精神と多様性の国・アメリカの理想像が浮かび上がるのだ。
アイヴズの普及者の一人ティルソン・トーマスがサンフランシスコ響を率い、代表作の交響曲第3番と第4番を再録音(SFSmedia 821936-0076-2
輸入盤)。明晰で練れた演奏に加え、引用元の讃美歌も収録し、複雑な構造が鮮やかに解析される。現代作品を中心に越境的な演奏活動を行う日本のデュオ
「ROSCO」による、バイオリンソナタ全4曲の説得力豊かな録音も登場した(ALM)。世界が単一の価値観に偏りがちな今こそ、その「多様性の宇宙」に耳を傾けたい。(矢)
片山杜秀、金澤正剛、諸石幸生、矢澤孝樹の4氏が合議で選びました。
レコード芸術 新譜月評 2020年1月号
大木正純 Masazumi Oki
チャールズ・アイヴズの4曲のヴァイオリン・ソナタは、30歳代の半ばから40代の初めにかけての一時期に、ほぼ連続的に完成されている。それらは若いころに書きためであったスケッチをあれこれやくりしながらできあがっていったもののようだ。あまり強い計画性はなく、内容には気まぐれをところがある。それに彼は、何しろ調整音楽の大気圏から積極的に飛び出していった人だけに、そもそも音楽はとっつきにくい。恐ろしくとっつきにくい。かつてヒラリー・ハーンも、4曲を収めたアルバムをリリースした。さすがにきわめてすぐれた演奏を聞かせているが、おそらくそれをもってしても、聞き手の心をしっかり掴むには至らをかったのではないかと、私は勝手に想像している。
中村孝義 Takayoshi Nakamura
[推薦] 今アメリカではアイヴズが静かをブームなのだそうだ。わが国ではその名が知られている割には今なおアイヴズの作品が演奏される機会はほとんど皆無に近いが'2018年度にはNHK交響楽団でもアイヴズの交響曲第2番が久しぶりに取り上げられているので、アメリカでのブームがわが国にも飛び火しているのかもしれない。このアルバムには、そのアイヴズのヴァイオリンとピアノのためのソナタが4曲収められている。
これらの作品には、多調性、無調性、複雑な複合リズム、トーン・クラスター、拍節ごとの転調など、今なお一般の音楽愛好家の耳には決してやさしくない複雑な現代技法が様々に使われており、ちょっと耳にしただけでは容易に理解しにくい音楽といっても間違いではない。これらの作品が日本人の演奏家の手によって録音されたのは、おそらく今回が初めてではないだろうか。しかし一聴して分かるように、演奏にたどたどしさは皆無で、この難解ともいえる音楽が実にこなれたものとして素直に耳に飛び込んでくるのには驚いた。それもそのはずで、ヴァイオリンの甲斐史子とピアノの大須賀かおりによって結成されたデュオ・アンサンブルであるROSCOにはすでに20年弱もの歴史があるのだ。その間に現代音楽演奏コンクールで優勝したり朝日現代音楽賞を受賞したりしている、いわば現代音楽演奏のスペシャリストによる演奏。アイヴズを知りたいと思っている人には格好のアルバムでライナー・ノーツも充実している。
石田善之 Yoshiyuki Ishida
[録音評] ヴァイオリンが前、ピアノはやや後ろに広がるというしっかりとした音像感ながら窮屈さを感じさせない自然な音場惑。多すぎず少なすぎずのホール・トーンの、2019年5月に三鷹市芸術文化センターでのセッション収録。ふたつの楽器がひとつの空間を自然に共有しヴァイオリンの応答感は心地よさにつながり快適で、その音色や演奏技法も十分に感じさせる。
音楽の友 2020年1月号
久々にお目にかかるアイヴズ「ヴァイオリン・ソナタ全集」(第1~4番)「Ko-ALCD7248」。演奏は2001年から「ROSCO」として活動を続ける甲斐史子(vn)と大須賀かおり(p)。この楽曲の録音は、ヒラリー・ハーンやラファエル・ドルイアンによるものなど、僅かしかない。演奏は潤いを湛えた抒情と先鋭的なベクトルとが巧みに融合した出色の演奏であり、またブックレットに掲載されたアイヴズに関する記述も実に貴重である。
今回は2001年に結成され、ジャズを含む広いジャンルをカヴア-4、クラシック系では現代の音楽を中心に活動してきたデュオROSCO、ヴァイオリンの甲斐史子とピアノの大須賀かおりの2人によるレコーディングである。これも磨れた演奏で、アイヴズのアイヴズたる所以が鋭く、生々しく伝わってくる。ともかく2人のチャレンジ精神と、ただならぬ力演に、大きな拍手をおくっておかなければなるまい。なお、パッケージにはアイヴズと作品を巡る20数ページの詳細を解説が付されていてこれはきわめで貴重だが、老眼にはひどく堪える小さな文字であるのが惜しい。
音楽現代 2020年2月号
推薦 アメリカ実験音楽の父:アイヴズの作品は、特に動燃(1874年)生まれのシューンベルクのそれ以上に先鋭的だ。無調、複調、複合リズム、クラスター、既成曲(主にアメリカ民謡)の引用。しかしながら、そうした先進的な要素が天真爛漫ともいえるアナーキーさの中で混淆し、不思議な抒情を醸し出す。4曲のヴァイオリン・ソナタは、1908年から15年にかけて作曲された。アイヴズ全盛期の名品。複雑さと簡明さが頻繁に交代し、現代の奏者からしても、その演奏は難しい。ROSCOは2001年の結成以来、日本の現代音楽演奏の最前線に立つ。本盤ではさらに作曲家夏田昌和のディレクションも得て演奏は充実。彼女らの飛躍と、アイヴズの再評価を約束するであろう一枚。☆石塚潤一
Mercure des Arts 2020年3月15日注目の一枚|チャールズ・アイヴズ:ヴァイオリンとピアノのための4つのソナタ|谷口昭弘
アメリカのクラシック音楽そのものに対する認知度が高まらない日本において、アイヴズのヴァイオリン・ソナタ4曲(通常はこれでヴァイオリン・ソナタ全曲とみなしてよいだろう)を日本人が演奏し、国内のレーベルがその録音をリリースするのはとても珍しい。その内容も、何となくこれまで感じられていた奇異な日曜作曲家としてのアイヴズというよりも、19世紀後半の音風景・心象風景の中から彼の音楽を真摯に捉え直したと思われる演奏だ。
チャールズ・アイヴズの音楽は、19世紀後半としてはラディカルともいえるほどの「開かれた音楽観」を持ちつつ町の楽隊を指導する父親ジョージに大きな影響を受けている。しかしイエール大学で、ドイツ流の重厚な作曲技法を身につけた教師ホレイショ・パーカーから指導を受け、アイヴズは特に対位法の技術を磨き上げる。そして当時まだまともに書ける人も少なかった交響曲を卒業作品として提出。卒業後は保険業を生業とし、管理職の立場から新しいビジョンを提起し、業界の指針となる保険のバイブルともいえる冊子を著した。一方大学で精巧な作曲技術を学んだアイヴズは、初めは教会のオルガニスト兼聖歌隊の長をつとめ、仕事後と週末に創作に取り組む。やがて1902年に演奏家としての奉仕は辞め、社会人としての仕事とライフワークの作曲に全力を投じることとなる。やがて無理が生じて1917年に心臓発作を起こし、作曲活動を縮小。晩年は自分の創作遺産を使った曲作りをしたり、自費出版による作品発表に重点を置きながら、自らの音楽家人生を過ごした。
ヴァイオリン・ソナタはイエール大学を卒業してからすぐに構想を持ち始めたが、実際の完成に至るのは、創作活動に最も油が乗っていた1902年から1917年の間である。そんなヴァイオリン・ソナタの土台にあるのが1870年代から1890年代にキリスト教の野外伝道集会でアイヴズ少年が聴いた賛美歌や民衆の愛唱歌、そして自然の環境に鳴り響いていた様々な音だった。
4曲のソナタとも3つの楽章から構成されており、随所にさまざまな歌が引用され、最終楽章には、必ず賛美歌が何らかの形で幻想的に展開されている。そんなアイヴズが依って立つ音風景が1890年代までというのはとても重要であろう。なぜなら、1900年以降になれば、工場からの騒音が自然音を凌駕する脅威となったことだけでなく、音楽の享受のあり方を根本から変える複製メディア、すなわちレコードであり、ラジオであり、映画が出現したからだ。アイヴズが音符に留めていたのは、メディアで画一化されていく以前の音楽のあり方であり、その場にいなければ聴けない、生きた人間の活動としての音楽なのだ。
CDのライナーノーツに米山高生氏が指摘している内容とリンクしているところがあるのだが、 ROSCOの演奏は、人々の日々の生活をいきいきと表現するアイヴズの音楽を歴史的文脈で捉え、作曲者を「保守的」な存在と考える側面が強い。そしてそれは本国アメリカでのアイヴズ研究の動向ともリンクしている。
生前のアイヴズに取材してヘンリー・カウエルが彼の伝記+作品論を書いた頃、アイヴズが、対ヨーロッパ的に見て、前衛とされた作曲技法–例えば複調だったり微分音だったり、トーン・クラスターだったり空間音楽だったり–を先取りしていたことがクローズアップされた。それは伝記を書いたカウエル自身がウルトラモダニズムの作曲家であったこともあろう。
しかし、1970年代後半頃からアイヴズをアメリカ史の流れの中で捉える動きがアメリカ研究の中で始まり、さらには音楽の理解に文化史の視点をより濃厚に反映させた「新しい音楽学」が、そういった視点を、1980年代以降、より包摂的に受け止めるようになった。
ROSCOの演奏にも、アイヴズの先鋭性よりも、彼が生きたアメリカの姿を反映したという感覚が強い。それは例えばフォスターにもつながるような懐かしさ、暖かさ。時折聴かれる不協和な音は確かに風変わりではあるけれど、それはアイヴズ自身の複雑な哲学や音楽観を反映したものであるし、19世紀から20世紀の転換期における、失われつつあった人と音楽との関係への追憶でもあるのだろう。何かしら突出した存在として伝統と対峙させられることもなく、全体はシームレスな音楽の「個」として存在している。
その一方で、甲斐史子と大須賀かおりの演奏が単なるロマン主義かというと、そうでもない。例えば一番親しまれているソナタ第4番の第2楽章では、子どもの賛美歌として有名な<主われを愛す>が枯れた歌のように奏でられている。ノスタルジックではあるけれど、感情に溺れてはいない。バーンダンスに興じる人々を描く第2ソナタの第2楽章<納屋の中で>にしても、ダンス・チューンのメドレーかと思えば、それを心の中で振り返っている素振りがある。一人の人物を通して奏でられる複眼的音楽が同時に、多元的に進む様が見事に、音となって立ち上がっている。
眼前の音風景と、それに対する心の揺らぎを敏感に、立体的に音符に書き入れたアイヴズの世界を、すんなりと耳に入る形でディスクに残した稀有なこの1枚は、日本におけるアイヴズ受容の幸せな瞬間を表している。
20世紀のはじめのチャールズ・アイヴズ。不協和音では生活できないと、本業は保険関連の日曜作曲家で、こつこつと前衛的・実験的な試みをした。それでいて妙に親しみのあるメロディーがでてきたりして、なかなか全容がとらえにくい、すこしでも興味をおぼえたなら、このアルバムをぜひ。《4番》には、誰しも御存知、ちょっと驚くあのメロディー。演奏は、作品そのものに距離をとったり近寄ったりと自在な姿勢をきかせてくれる二人。
Evening Entertainment(読売新聞 2020年4月16日夕刊)
アイヴズ「ヴァイオリンとピアノのための4つのソナタ」(ALM)
胸にしみる優雅そのもの
絶賛ひきこもり生活の真っ只中である。本棚からレイモン・ラディゲ「ドルジェル伯の舞踏会」(岩波文庫、鈴木力衛訳)をひっぱりだしてパラパラとめくっていたら、こんな一文が飛びこんできた。
「優雅が一見へたな着こなしをしなければならないのと同様、へたに書かれた種類の文体」。これを見た瞬間、アメリカの作曲家チャールズ・アイヴズ「ヴァイオリンとピアノのための4つのソナタ」の中から、いくつかの断片が脳内をめぐりだした。民謡や讃美歌が表れたとおもえば、変奏、復調、錯綜したリズム…と溢れんばかりのアイデアが渦巻く作品たちである。
アイヴズは保険業のビジネスマンでもあったから、片手間の作曲家のように世間では誤解されがちだ。曲につかみどころがないとか、不名誉な文言がつくこともしばしば。けれども実は彼の音楽こそ「一見へたな着こなし」をした「優雅」そのものではないか。
そう考えるようになったきっかけは、ヴァイオリンの甲斐史子とピアノの大須賀かおりのデユオ「ROSCO」の演奏だった。もちろん感覚を刺激する尖ったところはバッチリあるし、古き佳き時代の、どこか遠い場所へ誘ってくれるようなスケールの大きさだって味わえる。それでいて、どんな時にも節度があって、趣味がよいときている。これほどおだやかに胸にしみる「4つのソナタ」の録音は、寡聞にして知らない。
この一か月ですっかり縮こまった心と体に効きそうな一枚。どうぞお試しあれ。(音楽評論家 松平あかね)